2015年夏休み自由研究
アジア−ラテンアメリカの人類の移動、文化の相似性について
南山大学院M2015K003 村越稔
1.ベーリング海峡の横断について
アメリカ大陸への人類の移動について昔から以下が定説となっており、博物館での展示も
すべてそう書かれている。
「氷河期にアジアからモンゴロイドが水位の下がったベーリング海峡を横断してアメリカ
に渡って来た」
ラファエルラルコ博物館 メキシコ博物館
自分は長野育ちでストックホルム(北緯60度)に半年住んで冬も滞在経験があり、ま
たヒマラヤに3回行き、最後は−25度の中8200mを登頂した経験から疑問点を書きます。
@緯度的には66度ですぐ北極圏になる。
夏は白夜、冬は夜のみとなる。現代でも人が(永久に)住むのは難しい。夏の間に北アジ
アからカナダ辺りまで一気に移動する必要があるが無理だろう。
@防寒
現代人より低温に強いだろうが−15度で鼻の中が凍るし、手袋無しでは手が凍傷になる。
動物の毛皮を着ている絵を見るが、骨で作った針で毛皮をどの位緻密に縫合できるのか。
予め毛皮に穴を開けておかないと貫通させるだけでも大変と考える。粗い縫い目では十分
な保温力は得られないし、風が吹けば防寒性はかなり落ちる。このような衣服では、厚い
皮下脂肪と十分な体毛がなければ極寒の中で生きられないと考える。
メキシコ博物館 毛皮を着ている その横では熱帯での狩の様子
A水、塩
夏は得られたかもしれないが、冬眠する動物とは違い人間は季節に関係なく摂取が必要で、
冬はどのように得たのか。(火があれば水も塩も確保できる)
B火
古代火を起こすには摩擦熱の利用によるが、零下の中で発火させることができるか疑問。
昨年黒沢ゼミで登呂遺跡に行ったとき、地元のボランティアのおじさんが発火の実体験を
デモしており、学生がやってみごと綿に着火しました。常温下だから可能でしょう。
C食料
夏は動植物も得られただろうし、温帯なら土中に保存できてもツンドラ(永久凍土)地帯
では難しい。植物は凍ると水が抜けてしまい、戻すのに調理が大変になる。
Dアイゼン(氷上を滑らずに歩くためのツメ)、カンジキ
当時の人類の足裏が白熊のようになっていたとは思えない。アラスカ側の地形は起伏があ
るし、そこを乗り越えるアイゼンのような遺物はあるのか。また二本歩行のラッセルでは
体力を消耗するので雪上はカンジキが必要。(動物は4WD) それらを着けて氷雪上の動物
を弓や槍でしとめることは難しい。
「古代人がベーリング海峡を渡った」とするにはこういう事の証明が必要で、氷雪原での
歩行・生活経験の無い人が常温の中で「氷が張れば渡れた」と考えただけのような気がす
る。むしろ2で紹介するように船による太平洋直接横断の方が歴史的に実績もあるし可能
性がある。考古学と山岳会合同で氷雪生活を実証してみる必要を感じます。
アジア人が4万年の間に北極圏対応の人種に変わりながらベーリング海峡を渡り、南下しながら
また温帯、熱帯対応の人種になったとは考え難い。「アリューシャン伝いに移住した人もいれば、
太平洋を直接横断して南北アメリカに移住した人もいる」の方が可能性が高いと考えます。
きちんと証明するには各々の歴史をもっと精緻に研究し、他に例はないか、等反証も必
要であるが、秋季から古鏡の研究にとりかかるため、今回は実見してきた例や文献資料の
紹介程度にとどめます。
2.直接太平洋を横断した例、根拠の紹介
(1)倭人も太平洋を渡った C.L.ライリー 八幡書店 1987年
ヘイエルダールのコンチキ号の航海よりめざましい漂流実験がある。1956年と58年
に行われたビショップの航海。タヒチから漂流し極に向って南緯三五度へ、8000km 、6ヶ
月以上の航海だった。また彼等はイカダで南チリからペルー
西部を経由して北と西へ漂流
した。6ヶ月と11200
km の漂流だった。北太平洋でこれと同じような距離をたどれば日
本からカリフォルニアへ行けるであろう。またそのような航海は、実際にくりかえされた。
太平洋へ不注意にもおし流された日本人の小舟ー60回のケースの中で、6回はアラスカ
南部とアメリカ海岸に、他の6回はメキシコ海岸や沖合いで発見された。
手づくりヨットで世界一周した青木洋さんによると、カリフォルニアの人は北太平洋海流
のことを「ジャパン・カレント」と呼んでいる。日本からさまざまの漂流物が到着するか
らである。それなのに人間だけは行かない- そんなことがあるだろうか。
(2)環太平洋の縄文人 09.06.29 栗田盛一
http://www.jsdi.or.jp/~kuri/KABUDATA/kodaishi-kan-taiheiyo.htm
・ミシガン大学教授C.ローリング.プレイスによると,米国各地の9000年前の頭蓋骨の
調査結果で,モンゴロイド人の共通点は少なく,日本の縄文人やアイヌ人,ポリネシア人
の特徴を持っているとのこと。
・戦前の人類学者西村真次はカムチャツカ半島,セント・ローレンス島やアメリカインデ
ィアンの土器が縄文土器に似ていると指摘していた。
・アメリカ先住民のイロコイ族は1万年前アジアよりベーリング海峡経由でアメリカに渡
ったとの口承史を記憶している。
・民族学増田義郎によると,海草を食べる民族は極めて限られている。主として太平洋岸
であり,日本,韓国,南太平洋国々、ペルー、ボリビア、チリの原住民である。ペルー
ではインカ帝国の時代より4000mの山の民が海藻を食している。年に一度リャマを連れ
て海岸で海藻を採取していた。大西洋岸ではほとんどが産業資源として使うだけである。
・DNAより見た縄文人の分布
@現代のアメリカ先住民のミトコンドリアDNAのハプログループはA,B,C,D,X
の何れかである。
AハプログループはA,C,D,Xは北アジア,Bは東南アジアや中国南部に多い。
B前者はベーリング海経由でアメリカに,後者は南太平洋経由でアメリカに移住者に
よると考えられる。
C日本人の最大のハプログループはDであり,次いで「ハプログループB」は13.3%
該当する。立派に南太平洋の種族に属している。
(3)縄文文化を新大陸に伝えた古代人http://heymanbow.exblog.jp/10806264/
南米北中部のミイラから見つかったお腹の中の糞の化石、そこから見つかる回虫は、アジ
ア、特に日本で数多く見つかる寒さに弱い種類であり、ベーリング海峡越えでは死滅する
こと。日本列島の太平洋岸、沖縄から和歌山にかけての住民と、南米北中部の原住民の持
っているウイルスが一致すること。
(4)海を渡った縄文人 三つの事実 http://utukusinom.exblog.jp/13722827/
一般的に縄文字(結縄文字)と言うと南米のインカ帝国で用いられていた、キープと呼ば
れる紐に結び目を付けて情報を伝達する手段の事をさす。このキープと同じ物が日本の沖
縄でも戦前まで実際に使用されていた。沖縄の縄文字は、藁算と呼ばれワラで編んだ縄、
又はワラその物に結び目を付けて情報を記録した物である。
愛知県ガンセンターの多島氏によると、アンデスで発見された、1500年ほど前の物と思わ
れるミイラ2体のDNAサンプルを検査した結果、これらのミイラが成人T細胞白血病に関
連する稀少なウイルスに感染している事がわかったという。このウイルスは、現在おもに、
南西日本とチリの一部の地域でのみ見つかるウイルスだという。
この研究が発表された「Nature Medicine」によると、ウイルスに感染した古モンゴロイド
が、1万年以上前に南米に進出したのではないかとされている。
(5)日本水路協会の会報誌「水路」164号
龍山文化の遺跡の分布状況をみると、津軽海峡を経て北太平洋暖流に乗って東へ航行し、
アラスカにまで達した。
百越人(江南、越の国)は二つの流域に乗って移動したようで、一つは北太平洋海流に乗
ってハワイを経てメキシコ北部に達している。もう一つは、赤道逆流の海流に乗って移動
したものである。これを北緯3〜10 度の間を東へそのまま流れると、南下して東オースト
ラリア海流となり、さらに東へ流れてニュージーランド海流となって、さらに東へ流れて
ペルーへと達する流れに乗って移動したようである。
遺跡からすると龍山人の当時の航行は丸木船と筏によるものであり、百越人は双胴になっ
た丸木船(筏)を使って、トンガやサモア諸島などへも出かけている。長距離航行には、
木や竹で作った筏の方が船体の大小の調節がしやすく、沈没もしにくいために適していた
のである。
5000 年前に、百越人は竹の筏に乗って赤道逆流を利用して東方へ島を一つずつ経由して航
行し、ペルーの沿岸各地にまで到達しているのが「有段石」などの遺跡の分布から明かに
なっている。
3.アジア−ラテンアメリカの文化の相似性について
古代中国殷、周時代に代表される青銅器、玉器を授業で習い、そこに描かれる饕餮文(と
うてつもん)と南米古代アンデスのクピスニケ文化に代表される文様が似ていることに気
づいた。ラテンアメリカを旅行して実見してきた結果から以下に対比する。
・饕餮文とクピスニケ文化の文様の共通点(クピスニケは土器)
@口から牙が出ている
A手に動物の尖った爪がある
B顔の上(頭)にまた顔を重ねる
C両眼を丸く、強調
D鼻の形:獅子鼻
E虎、ジャガーの横顔:アンデスの遺跡はジャガー、中国は虎をモチーフにした物が多い。
(以下良渚玉器の出展:中国出土玉器全集8、科技出版社)
獅子舞は中国の漢書記載が最古 ランソン
良渚玉器p71 ライモンディの石碑 リマ博物館
テオティワカンで撮影
良渚玉器p85 チャビン『世界遺産』小学館
良渚玉器p85 チャビンデワンタル 黒と白の門
・次に3つの膨らんだ足を持つ器、人像土器を比較する。
馬廠文化(「中国文明の起源」夏タイ著) チャンカイ文化 リマ博物館
中国の青銅器 (WEBから) 土器 メキシコ博物館で撮影
ひたちなか市 虎塚古墳壁画 メキシコ テオティワカン壁画
メキシコ テンプロマヨ−ル 左右壁のリング状模様
・その他日本や韓国の甕館、墓室内を朱で赤くする、絞り染め、と似た文化があります。
キト博物館 ラパスの博物館 絞り染め
・2014年1月宮崎に行ったときに地元の歴史を研究している日高氏からエクアドルのバル
ディビアには縄文土器と似た土器がある、と聞き、博物館を訪ねてみた。しかし自分に
は相違を判定するだけの力はなく、良く分からなかった。
一方でアジアからの移動に伴い、なぜ以下は伝わらなかったかの疑問点もあります。
・文字(漢字):言語が違うからか?
・鉄器の製作技術:資源の問題か
・稲作:標高や気象条件との違いか